フランスでは謎に仏教がいい感じなのである。良い感じというのも、 庭やトイレにブッタの顔が置かれていたり、ゼンという言葉がいろんなコマーシャルに使われていたりする。なぜここまで、仏教がいい感じなのか今回はその理由を探ってみた。
フランス人における仏教のイメージ
フランスで仏教は、平和主義で寛容的なイメージがあり、幸福の哲学と思われている。フランス人の認識では問題を起こさない宗教とされ、特に宗教と認識していない人も多くいる。仏教にまつわるデモや法律の問題、不祥事など、他の宗教で出てくるような出来事はフランスではあまり取り上げられない。
フランス人にとって仏教は、スピリチュアル的で心を落ち着かせたり、ストレスを解消させる瞑想の実践であり、知恵で、人生の哲学だ。他国から来た理想として、人を幸せにするためのツールになった。仏教はまた、より多くのフランス人を魅了する輪廻転生の信念をもたらした。
お坊さんについても、これらから関連することがいえる。お坊さんは教養がありとても穏やかで、罪をしない人、つまりはキリスト教文化における聖人のように純粋な人だと思われている。仏教のお坊さんというと、教養があってとても穏やかな人か、聖人のように振る舞う純粋な人をイメージされることが多い。
フランス人はフランスで仏教の信者を博愛していると同時に、また厳しい意見を持っている。仏教徒は冷静沈着で賢明だと考えられているので、怒ってはいけない、物欲がない、どんな状況でも落ち着いていなければならない、寛大で、無政治で、エコロジストで、オーガニックとベジタリアンを食べ、お酒を飲まない...などなど。 偏見が多い。
一体何故フランスで仏教のイメージはそんなにも良いのか?
生きている世界に不満を持っている。
仏教に惹かれている人たちは、一般的に、消費社会が真の幸せをもたらさないことを意識している。そのため、内なる平和を求めている。西洋では何千年もの間、外の世界を満足するものにコントロールしようとしてきた努力は成功せず、地球や生態系に多大なダメージを与えたことを反省している人が少なくは無い。ここで仏教の欲を捨てるなどのミニマリズム的な思考が浸透しやすくなっている。
キリスト教に満足できない
仏教徒になった、もしくは考え方が仏教に近いフランス人は、ほとんどの場合神というキリスト教概念の問題点について話す。例えば、すべての生きとし生けるものの幸福を願いながら、争いや不幸で生まれた多くの人の苦しみを許す神をどうすれば信じることができるのかなどなど。
仏教ではこの現象と人間のすべての不平等が、カルマによって説明されている。良いことをしたら良いことがある、悪いことをしたら悪いことがある。善因善果・悪因悪果。
フランス人が幼少期に受けた宗教に影響された教育(あなたが善良なら神はあなたに報い、悪ければ神はあなたを罰する)は、大人になってからの経験とは一致せず、キリスト教に違和感をもっている。
仏教は神に言及しない。仏教徒があらゆる種類の神々を受け入れる余地を残しているのは事実だが、神々は人間と同じように生と死のサイクルにとらわれている。それゆえ人間のようにそこから出ようとしなければならない。何よりも上の神、愛する神、救う神という考えは仏教にはない。
仏教ですべてが神なしで説明できるという事実は、フランス人にとって非常に魅力的だ。彼らにとって仏教の現実分析、倫理観、瞑想などはキリスト教より合理的に見えるのだ。
1つの人生で全てができない
人は自分の人生の意味や進歩を求めるが、一生のうちにすべてを知り、実行することはできないことに気付き、不完全さを感じたままで生きていく。神に迎えられ救われるという考えを否定するならば、残された可能性は、無意味な人生を送ることか輪廻転生の信頼を信じるかだ。そこにフランス人の多くが輪廻転生を信じているポイントがある。
精神的ガイドの必要性
多くの本に使われているブッダの「言葉」は、賢明で頼りになるアドバイスだ。そのためブッダは模範的なモデルとして、不安を抱える人の拠り所になっている。
まとめ
フランスにおけるブッダは知恵と静けさのイメージがあり、それゆえに、存在しているだけで人々に癒しをもたらします。だからこそ、仏のイメージは、あらゆる場所で、あらゆる可能性と想像可能な形(コップ、ろうそく、像、装飾品...)で見ることができるようだ。
そのようにしてフランスでは仏教の良い面が強調され、信じられている部分が多く見られます。もしかしたら日本よりも、よりよい仏教の姿をみつけられるかもしれません。
参照:・https://larevuedesmedias.ina.fr/le-bouddhisme-vu-par-les-medias-francais-le-grand-malentendu