世界のユースセンターを巡る旅人

世界を旅する日本人とフランス人の話。

フランス「ユースワーク」の歴史をまとめて見た-アニマトゥールの動向を添えて

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今回はフランスのユースワークについて時代変遷をまとめてみました。まったくもって完全版ではございませんが公開いたします。

*調べながら随時更新していきます。

 

まずフランスにユースワークがあるのかないのかについては、以前まとめたことがあるのでそちらを参考にしてみてください。

では早速。

19世紀半ば~第2次世界対戦前

・学校外教育、若者のための何か(キリスト教系・無宗教による)がボランティアによって誕生。(イギリスから輸入されたものもあり。)

・身分に関わらない広い年齢の教育。民衆教育の芽生え。大人もユースも全体を包括した教育。参加と知識の共有による学び。

・民主主義を目指す社会団体による若者向けサマーキャンプの登場。社会にみんなの声を届けるのが大事だが、若者の参加にはリミットがあったことによる。

・1936年。余暇に政府が関わり始める。左派政党の連合政権によってレジャーとスポーツについての政策が誕生。特に若者のためではない。

第2次世界対戦期

・国に非省庁の「若者と家族部門」が生まれる。若者については初めて。若者にファシスト精神に基づく愛国心を教え、若者を管理するため。ヒトラーユーゲントと関連。

・ドイツ敗戦後、全体主義的な若者政策からの脱却。栄光の30年の始まり。

ここで生まれた3つの特徴

1,青少年政策に中央政府の直接的かつ協力的な管理への嫌悪感

2,若者への関与は第三セクターが鍵を握る

3,若者とコミュニティを分けない。jeunesse et éducation populaire

3について、国の省庁では若者(jeunes)という言葉は決して単独で使われない。他の言葉と合わせて使われる。

例)若者と家族、若者とスポーツ、若者と社会教育、若者とアソシエーション活動、、、Maison des jeunes et de la culture and Maison pour tous

第2次世界対戦後

・国家は第三セクター(例Francas in 1944, MJC in 1944, Les Foyers Ruraux in 1945, Peuple et culture in 1945, and Fédération Léo Lagrange in 1950)に資金を提供し、生涯学習と若者関連の分野が栄えた。その裏には戦後の社会繁栄、福祉の充実があった。

・レジャーやアクティビティのために学校・仕事外の時間を増やす。

・戦後の新しい社会のニーズに合わせるために、国家と市民社会第三セクター)の協力。

・fédérations d’éducation populaireが若者のレジャーや文化、スポーツ、ノンフォーマル教育の場で活躍する。

・弱い立場の若者に対しては第三セクター(主にキリスト教系)がサポートする。

・アニマシオン&生涯学習ソーシャルワークを担当する行政&職、その2つについての区別が始まった。

・➀グループ教育の非宗教的なfédérations d’éducation populaireと公共学校システムと、②個別の健康社会サービス等の間にはっきりとした分かれ目。

ソーシャルワークは健康の分野と提携。(1956年)

➀“mouvements de jeunesse et d’éducation Populaire”教育と文化、スポーツをそれぞれ近づけようというトレンドにより、若者とスポーツは連携されたが、しばしばスポーツに優先権が与えられた。

➀+②ソーシャルワークが担当する個別の若者と、グループ教育の担当する若者の区分けにより、相互間協力のミスがおきた。

1960年前後

・集合住宅の増加による社会変化

・リスクや弱さを抱えた若者の増加により、それぞれに専門的な職員の配置。主な若者へは、mouvements de jeunesse et d’éducation populaireのボランティア等が対応していたが、ソーシャルや文化活動にアクセスするためにアニマトゥールの役割へと変わっていく。しかし、荒れそうな若者の増加により、アニマトゥールのスタンスに変化が。

・1959年~Blousons Noirsが話題になる。国の若者とスポーツの部門は、MJCの発展を呼びかける。レジャーに若者文化の矛先が向くようにしたかった。

・1956年~1968年に、1ヶ月平均15のMJCが出来る。12年でソーシャルセンターの数は5倍に。

この時期(集合住宅社会)の野望。。。

アニマシオンが生物的、精神的に個人と社会に活力をもたらす。

フランス社会の新しい構造として作用する。

(特に若者を中心にしたものではない)

デタッチドユースワークの存在

 1940年代後半から、50年代前半にうまれたとされる。ボランティアや、福祉フィールドワーカーによって支えられる。

1960年代に、clubs de prévention(予防のためのクラブ)はスポーツと若者部門の中に生まれた。徐々にオープンアクセスの場ではなくなり、自然的な予防をアニマトゥールが公共の場で行う。ターゲットを絞った予防は地域権限に委任し、第三セクターのスタッフによって行われている。

1970年代

・集合住宅による都市構造の終焉。失業者の急上昇をもたらすような経済と社会の変化。

1980年代

・都市暴動勃発による変化

1、職を通してみることによる、ターゲットグループが増加。

2、地方分権により、ソーシャルワークやアニマシオンに対する権威が国から地方へ移行。

3、都市発展政策(若者を含む)の重要性の高まり。

4、若者とスポーツ省以外の省庁で、若者をターゲットにしたものが考案され、他の省で若者に対する役割が増えていく。

5、第3セクター間の関係の変化。

第3セクターの影響力の衰退。若者や生涯学習に関連する民間組織のほとんどはCNAJEPのメンバー。1968年に設立された。第3セクターのネットワークによって、国家や地域の政策立案に強い影響力をもつ。

・地域の政治は成長していったが、若者への法的な取り決めは特にない。10000人以上の自治体のほとんどは、若者に対してのアニマトゥールを雇い、なんらかの若者サービスをしている。

・政府はレジャーや文化から、雇用や経済的安定へ。

・ミッションローカル

16歳~25歳の若者対象。仕事カウンセラー的ユースワーカーの誕生。アニマトゥール(社会経済的ミッションにより近づいた)。仕事的社会参加のための手伝いをする。若者の雇用へのスキルを高める。ただ、リスクのある若者にフォーカスしすぎた。

その後、、

・若者政策はフランス全土へ。様々な若者プログラムを、複数の地域が共に、継続的に行ったために広まる。

・アニマトゥールの専門知識やトレーニングは足りないという批判が生まれた。アニマトゥールの資格化、職業化が進み、国家や地域から資金を受けたノンフォーマルな場へアニマトゥールが介入をしていくことになった。

 

参考

https://www.humak.fi/wp-content/uploads/2018/09/The-Impact-Of-Youth-Work.pdf