世界のユースセンターを巡る旅人

世界を旅する日本人とフランス人の話。

マスクをすることは正義か?ー「マスク=不自由の象徴」の世界で

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コロナの終息がまだ見えないなか、私達はどこに進んでいったら良いのでしょうか。そこで今回お届けするのは、欧州でみたマスクの話。

 

欧州で広がるマスク義務化への抗議

周知の通り、欧州ではマスク義務化に対する反対デモが行われている。特にドイツベルリンでは、1万7000人がマスクを着けずに抗議したことは印象深い出来事であっただろう。

マスクをする習慣のなかったヨーロッパでは、マスクを着用することに不自由を覚える人は少なくない。実際に「夏にこんなものを着けるなんて、、」「息が苦しくて長く着けられないよ」といったような言葉を聞くことは多かった。マスクで夏を過ごすことを経験したことない欧州人にとって、ストレスの溜まる生活スタイルが待ち受けていたのだ。

そしてバカンスの終焉とともにフランスでは、コロナの感染者数は跳ね上がりをみせ、それまで義務でなかった街でのマスク着用が義務化されるようになったのだ。(バカンス中は店舗や公共施設のほとんどが着用を求めていた)地域差はあるものの、パリをはじめとした様々な街では、マスク着用していないものに罰金を課すほどの強制力をもった動きが成されている。

これに伴い、フランスの黄色いベスト運動はマクロン政権のマスクを巡った動きに対しても抗議をしている。

果たしてマスクは意味があるのだろうかという問い

フランスではマスクの意義について、二転三転したということが先ほどの記事にはあった。インターネット上には「マスクは意味がある」と「マスクは意味が無い」の記事の両方が乱立し、人々は混乱する、ないし自分に都合の良い内容を選び取るようになった。

特にスウェーデンは欧州内でマスク着用を推進していないという立場として脚光を浴びていた。このとき、スウェーデンにあこがれるフランス人がいたことは確かだ。

さまざまな国が独自路線を貫くなかで、情報が錯綜しすぎていたことは間違いない。人々はまさに混乱した。

人はマスクをなぜする必要があるのか。

多くの人にとっての謎は「なぜマスクをする必要があるのか」にあるのだろう。マスク文化のある日本では誰でも簡単に答えられるかもしれないが、欧州において同様とはいえない。「マスク=不自由の象徴」ならば、きっちりとした意義がわからないと、マスクなどをするはずがないのだ。ただこれらはマスクの科学的根拠論争を無視した場合、個人の利益の問題に起因した考え方といえよう。

哲学者のマルクス・ガブリエルはこのようにコメントしている。

マスクを着用したりすることで他者の命を守ることが、道徳的に絶対の義務であることを認識した*1

つまり、マスクは自分の為だけでなく、モラルとして社会を救う個人ができる一歩という立場を取る。このことは朝日地球会議でも繰り返し述べられていた。人類のために、貧困のために、未来のために、自分がウイルスの媒介者とならないために、マスクをすると。

それと同時に、政府はマスク着用をいきなり義務づけるのでは無く、マスク着用についての説明義務があったとする。自由を求む欧州市民にとって、義務という負荷権力は、マスクを自由の対義語に押しやる結果となった。マスクは敵扱いされたのだ。義務よりかはモラルに語りかける必要があったのかも知れない。

この曖昧な問いが、マスクを巡る欧州市民の動きに発展したのであろう。

マスク=正義?

マスクをすることが今や正義化されているのかも知れない。なぜならマスクをしない悪は捕まるのだから。正義と悪の二極面で考えた時、それらは退治しやすくなる傾向にあるのは確かなようだ。

マスクが義務化された欧州諸国でそこを解決するのが、マスクをすることが自己の利益にとどまらないことを認識することのようだ。社会を救う一歩として、モラルにマスク着用を含めることが求められている時なのかも知れない。