世界のユースセンターを巡る旅人

世界を旅する日本人とフランス人の話。

イスラム教信者が抱えるフランスの生きづらさ

f:id:mayonakanoonara:20200409184502j:plain

フランスでは、イスラム教の女性がスカーフをすることへのイメージを悪く思っている人が多い。法律的には、学校でスカーフなど「宗教的なサイン」をしてはいけないと定められています。学校に宗教を持ち込んではいけないという理由です。

そして、宗教の問題ではなく、顔が見えるか見えないかの問題で公共の場所でイスラム教のブルカ(目以外を隠すもの)は禁止となっています。このように宗教を信じることは禁止ではないのに、スカーフを被ることで差別される人が多くるのです。

 

イスラム教を攻撃したがる人達

フランスでは、テレビの番組でも差別をしている有名人が出てきて、イスラム教を信じている人に対して攻撃することがあります。

例えば、2014年にNadine Moranoという政治家は、「法の支配と世俗主義に支配されたフランスに来ることを選択したら、文化と女性の自由を尊重しなければなりません。そうでなければ、他の場所に行く!」と砂浜でスカーフを被る女性を見て言いました。

https://www.lefigaro.fr/actualite-france/2014/08/19/01016-20140819ARTFIG00175-voile-a-la-plage-que-dit-la-loi.php

 

多くのイスラム系以外の人は、イスラム系の人たちはフランスの文化を尊敬していないと思っています。そしてスカーフを被ることこそは尊敬していない象徴で証拠だと、、またその人達のアイデアでは、イスラム教の女性は家族や男性にコントロールされ、自由ではなく、イスラムコミュニティの引きこもりと考えられ、フランスの社会に参加してないと思われています。

さて、スカーフを被っているイスラム教を信じる女性たちの意見はいかがなものでしょうか。

イスラム教女性の意見

VICEのアンケートによると、イスラム教を信じる人達はフランス社会を尊敬しないつもりは全く無いという結果がでています。逆にフランスのことが好きで、自分の好きな宗教の秩序を守りながら、フランス社会に参加したいという意見が大勢です。

大体のスカーフを被っている女性は自分で選んでいます。とても幸せで、学びの機会にも参加して、働いていて、フランスの社会に積極的に参加しています。

多くのイスラム系の人は、フランスの基礎には自由と平等があると思って来るのですが、実際に住んでみて、自由と平等という言葉だけでアピールして、何でこんなに差別されるのかよくわからない状況があります。

「メディアは、イスラム教の女性は自由ではない、などのイメージを悪く強調して、他のフランス人と違うなどのイメージを作っています。しかし、私たちはフランス人ですよ。」

VICE

イスラム教について何も知らない人たちには、イスラム教の文化に曖昧さがあることはまだわかります。しかし、テレビ番組は、実際にスカーフを被るなどの関係がある女性にイスラム教について聞かず、その曖昧さを大きくすることが許せません。私は家族からプレッシャーがありませんでした。家族に何も言わずにスカーフを被り始めて、逆にフランスの状況を分かっている父が心配するほどでした。」

VICE

フランスのLaiciteという言葉は宗教禁止という意味ではなく、みんな自由に宗教を選んで信じることができるという意味です。なのに国家はその言葉を使い、学校で宗教のサインは禁止と決めました。しかし、キリスト教イスラム教も、クロスやスカーフなどを身につけることは宗教勧誘ではありません。着ても、被っても他の人を誘っているわけではないのです。

「スカーフを被っている女性は出かけると苛められたり、悪口されたり、ひどい言葉で呼ばれたり、ひどい目で見られたり、脅されたりされていますが誰も気づいていないです。」

VICE

どのぐらい勉強して資格をとっても、どのぐらい経験を積んでも、いつまでも「スカーフ女」としてしか見られていない現実があります。仕事を探して面接に行くときにも、差別されることもあります。そのために、スカーフを被って問題のない仕事を目指すしかありません。

「私にとってスカーフはコミュニティの引きこもりではなく自由に生きている証拠です。自分で選んだのだから。」

VICE

 

「スカーフは社会の中で生きることを妨げるものではありません。私は社会の一員だから。」

VICE

 

自由と平等というフランスの嘘 

自由と平等という言葉をアピールしながらも、過去にとらわれ、新しいものに対して攻撃的な思想を持った人達がいて、イスラム系の人達に生きづらさを与えています。つまり、自由と平等という言葉は形だけに過ぎず、誰にとっての自由と平等なのかという部分が見つめられていないのです。

キリスト教のクリスマスやイースターは学校でも行われ、批判的な意見はないのに、このような服の問題で差別されることはいいのでしょうか。今後フランス社会の中で、自由と平等について再検討・再認識していく必要があるのではないかと私たちは感じます。