世界のユースセンターを巡る旅人

世界を旅する日本人とフランス人の話。

我慢することは弱いことなのか?「それがないと生きていけない」主義から環境問題を捉える

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「我慢することは弱いこと。我慢しないことは幸せ。」みたいな考え方が苦手。そしてよくいろんな人が、我慢しないこと・我慢しない生活が出来るくらいお金を稼ぐことがかっこいいことだと勘違いし、私たちに押しつけてくるのが面倒くさい。

 

 

私たちの我慢レベル

でも、生きることは我慢すること。人生でトイレに行くことを止めることもできないし、寝たくなくてもいつかは寝なければいけない。そして食べないと行けない。生活には、必要最低限のこと・生理的なことをしていかないといけない。さもないと死ぬ。また地球が死んだら人も死ぬ。

私たちの我慢とはだいたいこのレベルプラスちょっと。プラスはイライラしないとか、気持ちを人に投げつけないとかかな。健康のために食べ物少し注意してるとか、人に逢うこともある。この我慢をクリアするために、どういう生活が出来るかを日々模索している。

このように生きるためには、しなくてはならないことがあり、小さからず我慢が必要。とりわけ我慢しないことは、人間として生きていく上で不可能である。

 

ハイレベル我慢を自ら作り出す

我慢しない生活を望む人は、おそらくしなければいけない我慢の上に、さらに欲望というハイレベルの我慢を自ら作り出しているのではないだろうか。

車がないと生きていけない・肉を食べないと幸せになれない・家がないと平和じゃないとかね。「それがないと生きていけない」を自ら増やすことによって、もし無かったら我慢することの量も増えている

そんな人達はその我慢を避けるために、「お金を得る→もっと欲望を取得できる生活→欲望の底辺が上がる→お金もっと欲しい」という生活を繰り返してはいないだろうか。私たちには、我慢の底辺がどんどんどんどん上がっていき、自分で自分の首を絞めているようにしか見えない。

我慢しない生活を望む人が幸せになりきれない理由は、ここにあるんじゃ無いかな。

 

地球のために我慢することは弱いこと

今、地球環境について、いろいろな場で議論されるようになってきた。(このようにヨーロッパでは感じるが、日本は知らない)

我慢することは弱いと感じている人にとって、地球のために我慢することも弱さの象徴になるのであろう。なぜなら「それがないと生きていけない」を減らしていく作業が必要になるからだ。例えば、排気ガスを減らすために移動手段を制限するや、余計なものを買わないなど、、

そのような人にとって、弱くなりたくないからこそ環境について取り組む気も無いし、地球環境に真剣に取り組んでる人は弱者でしか無いのだ。

 

我慢は何故、弱いことになったのか?

「それがないと生きていけない」に我慢の底辺を持ち上げられ、苦しめられているなら、それを捨てて抜け出してしまえば楽になるはず!なのに、その一歩が怖くて永遠に抜け出せない。そして、その見えずらい曖昧な怖さと苦しみを抱えたまま、彼らは時を歩んでいく。

そしてその怖さは、自分とは異なる考え方への攻撃心となることが少なくはない。肉大好き主義→ビーガン批判。欲望大好き人間→地球環境を考えている人への攻撃。攻撃して、自分の正当性を見いだしていく。その過程では我慢することが、弱さの象徴になっていくのだろう。愚かだ。

このように「それがないと生きていけない」主義には、ないと人間は死ぬという確実な確証のないものに自分が縛られ、自分とは関係の無い他人へやたらと攻撃の目を向けたがる性質を持っている気がする。いや、確証を埋めるための曖昧さを補うために、他人を攻撃するというのが正しい理解なのかもしれない。大きい声・強い言葉を使い何かを言ったら、隅で何も言わない人に勝ったつもりになっているのと同じだ。

 

我慢することは弱いという嘘

こんな感じで欲望を「我慢することが弱い」ということの確証も消えるんじゃないかな。我慢しないかわりに他人を弱いものと捉え、攻撃しないと自我を保てないのだから。

大好きなものを「あげる。」といわれたら貰う。極端な例かも知れないが、このように欲望に身を任せることなど至って簡単なのだ。犬だって餌を貰ったら食べるであろう。これを断るほうが難しいのではなかろうか。

エコじゃないけど、早く現地までたどり着けるから電車やバスじゃなくて飛行機に乗る。お金があるから必要以上のものを買う。

欲望に支配されることなど至って簡単。それを拒否するという心構えや、欲しいのレベルをさげることのほうが、ハイレベルの欲望を我慢しなければならない人にとっては辛いことであろう。我慢は欲望の逆を行く行為だからね。

 

コントロールの矛先を自分に

欲望に従うということは、誰でもできること。その欲望が自分の中で当たり前なのは良いけど、その欲望による苦しさや我慢を人にまで向けないで欲しい。

自分の欲望のために、他人をコントロールしようとしないで欲しい。

自分の欲望のためのコントロールの矛先を、自然や他国に向けないで欲しい。

自分じゃない他にコントロールする矛先を向ける前に、欲望のあり方をもう少し自分自身で見つめ直すことが必要なんじゃないかな。たぶんそうしたら、生きることに対してもっと気楽になれる気もするし。

まぁ、私たち個人的見解なので、他の人はどうか知りませんが。。

 

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