たまたま日本人男はいろんな家族に、1週間とか混ざって生活したんだけども、みんなそれぞれ違っていて面白い。いいところもあれば悪いところもある。
ただ、子どもに対しての愛の形が違うだけで、育つ子供の考え方も異なってくる。
特に、子どもに関して「干渉する型」、「干渉しない型」があるって感じたのです。
「干渉する型」に関しては、家族の団結は強いということを教育しつつ、家族感を全体で形成しているイメージ。個人の考え方ではなくて、、、。子どもの行動、考え方などを常に共有していく必要があるって考えている親が多い。理由はよくわかんないんだけど、なんとなく家族は大事っていう定義で生活が回っている。
このような場合、子どもは確かに親の愛を感じるかもしれない。両親はよく、子どものためにしたことを子どもにわかるように見せるからだ。行動で伝わらないと、言葉で伝えたりもする。そして、親は子どもに求める。親に「ありがとう」を言って。親に愛を送ってと、、、。子どもはいつしか親のために生きることを習う。
「親に何をしたら喜んでもらえるかな」そんな考えが、自分の生活よりも先立つようになることもある。個人的な意見だけども、「干渉する型」の親は、子どもが考えを発する前に、聞く傾向がある。
「将来何したいの?」とか、「何食べたいの?」とかまで、、、めんどくさくなるよね。
それは多分だけども、子どものためにサポートできるって感じたり、子どもに嫌われないような行動をしていくことを前提に置いた上で、聞いているのではないだろうか?
言いすぎると、自己肯定感を上げるために、子どもを道具として扱っているようにも、、、感じなくもない。(言い過ぎました)
確かに子どもは、親の愛を感じるだろう。ストレートでわかりやすいから。
でも、ある時期にそれに疲れる時もあるだろう。そのまま何も感じず終わる場合もあるだろう。
「干渉する型」の家族はだいたいの場合、自分の家が最高の家族だと信じている。信じてるが故に、自分以上の幸せそうな家族に気づくと世界が変わる。
「干渉しない型」はそれと対照的。別にちょっとした愛は、常日頃あるわけではない。ただ、何かあったらサポートしたりする。普段からそこの子どもは愛を感じていないため、心が少し悲しかったりもする。何か他に愛をもとめたりもする。
でも、心の片隅で、親が自分のことを愛していることを知っている。
別に家族が大切だとか、ありがとうを言いなさいとかも習わない。ただ親は、好きなことをするとき、相談に乗ってサポートをしてあげる。金銭とか、言動とか、、、
好きなことをしてて、いつか子どもは気づく。
「あ、親が好きだな、家族大切にしよう」って。
その時に家族は、無常の愛を感じられる空間となる。
親は、子どもが幸せなら、ただそれでいい。 ただそれだけ。
別に自分の日常を、充実させられるならいい。
だってとりあえず、家族がいたら幸せだから。
「干渉する型」、「干渉しない型」どちらが良い、悪いとは言わないけども、
子どもの成長段階で確かに大きな影響を与えていると、日本人男は感じているのである。